微生物のコミュニケーション戦略
学生時代に、研究テーマの1つとして微生物を扱っていました。微生物が初めて観察されたのは17~18世紀ごろですが、その微生物がお互いにコミュニケーションをとっていることが観察されたのは20世紀後半に入ってからのことです。
「コミュニケーションをとっている」は、より正確に言えば「単独でいるときと集団でいるときの振る舞いが変わる」というものです。なぜそんな性質があるのか、はっきりとしたことは分かりませんが、長い歴史の中で彼らに備わった生存戦略であると考えられています。つまり、単独(または少数)でいるときに複雑な物質(例えば相手を攻撃する毒性物質)を分泌してもほとんど効果がないので、普段はそのような物質は作らず力をセーブしておき、いざというとき(大勢集まったとき)に力を発揮するというものです。この現象は、今日では一般的に”Quorum Sensing”(クォーラムセンシング)と呼ばれます。直訳すると「定足数の感知」となります。
多少ニュアンスは変わるかもしれませんが、例えるなら小学校の教科書で出てくる『スイミー』で、小さな魚が集まって大きな魚のふりをして大きな魚を撃退するだとか、ゲームの『ドラゴンクエスト』でスライムが集まると合体してキングスライムになり、強力な力を発揮するとか、そんなイメージです。
Quorum Sensingの例
大勢集まったときに分泌する物質としては、先に挙げた毒性物質以外にも、家を建てるための物質などがあります。彼らにとっての『家』は、バイオフィルムなどと呼ばれます。一例として、お風呂場のピンクぬめりがあります。あれは人間目線から見ると、洗ってもなかなか落ちない厄介な汚れですが、微生物目線から見ると外敵から身を守る『家』なのですね。水ですぐに流されてしまっては意味がないわけです。そしてこれは一人(一匹)で建てようとしても無理なので、ある程度仲間が集まったときに初めて物質の生産を開始するということになります。
Quorum Sensingの方法
先に挙げた『スイミー』とか『ドラゴンクエスト』の例は、おそらく仲間が集まったことを個体同士が目で見て確認していると思われますが、微生物はどうしているかというと、シグナル物質と呼ばれる簡単な物質(複雑な物質の場合もありますが…)を常時分泌し、それが自分の周りにたくさんあるかないかを感知して仲間の多少を判断しています。シグナル物質にはいろいろありますが、構造が簡単なものが多いため、異なる種類の微生物が同じシグナル物質を使っている、なんていうこともあります。そんなこともあり、そこからまた『異なる微生物種の相互依存戦略』とか話が広がっていくわけですが、その辺は話し始めるとキリがありません。(いろいろな研究が行われています、とまとめておきます)
応用研究例
この知見が私たちの生活にどう影響してくるかというと、先程のピンクぬめりに対しては、シグナル物質を感知させない、つまり、微生物が集まってもピンクぬめりの原因となる物質を生産させない、という対策が考えられます。シグナル物質を感知させない方法としては、単純に分解してしまったり、何かと結びつけて無力化させたり、(ゴキブリホイホイのように)何かに取り込んでしまったり、というようなものが考えられます。
これとは逆に、シグナル物質を添加することで、積極的に物質生産をさせることもできます。先程から、毒性物質だとか、バイオフィルムだとか、微生物の集団が悪いような書き方をしてきてしまいましたが、必ずしもそうではなく、例えば私たちの生活排水の処理には『活性汚泥』という微生物集団が使われています。これの処理力を上げる方法として、シグナル物質の役割が注目されています(活性汚泥自体は多様な微生物群で構成されているため、なかなか議論が難しいところですが)。
まとめ
これまでいろいろな微生物種のいろいろなコミュニケーション機構が見つかっており、近年ではQuorum Sensingに特化した学会も開催されています。応用研究はまだまだ発展途上といえますが、今後の広がりが期待される分野です。